平井さんぽ

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御門訴事件 史跡巡りツアー

2022.09.09
 御門訴事件ってご存じですか?

「門訴」とは門前での武器を持たない訴え
「強訴」は一揆や打ちこわしなど暴力的な訴え
強訴はとても罪がおもかったそうです。

今から約150年前、この辺の上保谷新田を含む12ヵ村の農民たち数百名が県庁まで、苦しい実情を訴えに「門訴」に行きましたが、武力鎮圧され多数の負傷者がでました。


9月入ってだいぶ涼しくなったので
御門訴事件史跡巡りツアーを企画して自転車でフィールドワークいってきましたよー

まずは阿波洲神社集合からのスタート。
関前新田の井口庄司とともに御門訴リーダー、ツートップの一人、平井寅之助、のちの週作がかつて村の有力者であったころ、上保谷新田の方々で建てた社殿があります。
伝説の庭園「康楽園」にまつわる話もあったりして・・。。
その面影は、今はなにもなく・・。

現在は新町の鎮守様として五穀豊穣をお祈りしております。


招魂搭 事件から10年後の明治12年に建てられました。
御門訴事件との関係を示す記述は一切見られませんが、書き込まれている氏名から推測して犠牲者を鎮魂するために建てられたと考えられている。


倚鍤碑 井口家の犠牲者を慰霊するために建てられたそうです。 門訴のリーダーの一人として活躍して非業の死をとげた井口庄司の霊を慰める石碑でして
村に返還された資金によって建てられたという話もある。

このような大事件となった品川県の社倉制度は施行から、わずか2年の1871年(明治4年)に終わりました。 この間徴収された社倉積立金は1880年(明治13年)になってようやく村に返還されましたが、米の備蓄失敗(ネズミに食われる被害)や運用損などで約6割が損失してしまいました。

碑文は中島信行によって書かれています。この地が神奈川県になったときの県知事で自由民権運動家、初代衆議院議長、明治の名文家として名を残しています。

深大寺街道を北上して 馬頭観音文字搭を見学~
近所に馬捨て場があったようですね。


田無神社に立ち寄ります。

将軍山の石碑
田無神社の北参道の入り口には、かつて伝説の庭園「康楽園」の築山に据えられていた将軍山の石碑が安置されています。
裏には平井週作の名前も彫られていますが、なぜか巡り巡って田無神社に据えられています。
賀陽宮司には感謝ですね。


稗倉
田無村に入り、下田半兵衛さんの稗倉を見学

役人と農民の間の位置する立場の半兵衛さんは、この事件でも語りつくせぬ重要なポジションのお方。
御門訴事件にまつわる様々な話もあり、葛藤、苦悩があったことが想像できます。


その後、西東京市郷土資料室で御門訴コーナを見学


撃剣家 並木綱五郎の墓 
幕末は剣術をめぐる交流が盛んになり、村を自衛したそうです。
墓石に刻まれた門人名を見ると、田無、関前、西久保、境などを中心に近郷の村々の名前。 門人が広範囲から訪れていたことが窺える。


八反歩があったと思われる辺りを眺める。
庚申橋から、くぬぎ橋あたりと言われています。
なぜここに集結したのだろう?
500人とも700人とも言われていて

男どもの雄たけびが聞こえてくるようである。
今はサッカー部の声が轟いている。


小金井公園のコスモス畑を、時間がないのでピューっと通り過ぎます。
夏ももうすぐ終わりですね~


真蔵院到着~
新田のリーダーたちによる御門訴の会議が行われた、ゆかりの地である。
ご住職からは御門訴事件の一部始終をお話しいただきました。

川崎兵右衛門の功績もご説明いただきました。


その後、桜樹接種碑を見学
「さくら折るべからず」槐字道人(下田半兵衛富宅)
裏面は削られている箇所もあり、残念でしたね。どんな理由にせよ、文化財は大事にして欲しい


二本松
御門訴事件で捕縛された若者が赦されて村に帰ってきたときに記念に植えられたと言い伝えられている。 150年前といいますと新橋~横浜間で蒸気機関車が開通したころ
この辺の村々ではいったい何があったのでしょうか。
御門訴事件は明治から急速に発展する自由民権運動の先駆けになる民衆運動である・・。っていう人がいたけど、そりゃ言いすぎだよなぁ

むしろ、その前の段階の話だよね

苦しさ故、訴えに行った話であって・・。当時はまだ選挙権もないし、人権が無いような時代。そうするしかなかったんでしょう。

150年前の人々が何を思い、いかに行動したのか・・。

でも、この話から読み取れるポイントは多々あると思ってまして・・僕はね
人間模様とか・・。現代にも似たような、あるある話がありそうで

今回、この企画をするにあたり、いろいろ取材をして、気になる話を聞きました。
「戦前は御門訴のことはそれなりに伝えられてた・・。」らしいのです。
戦争(太平洋戦争) が近づくにつれて、お上に逆らった話ともとれる御門訴の話はタブー視されていったそうで、そんな空気になっていったそうで・・。


現在は、教育教材や郷土史研究、朗読劇などの分野で「御門訴事件」を後世に語り継ぐ活動が行われていまが、地域やそれぞれの立場で見方や解釈が異なっているのも事実です。
私は御門訴の話は、そんなに悪い話ではないと思っているので、できるかぎり後世へ伝えていけたらと思っています。

郷土の歴史をしれば、面白い発見もあって、先人の苦労があって我々が生きているんだなぁと、思ったりして・・。


秋の一日、御門訴の史跡、自転車で廻ってみてはいかがでしょうか。