平井さんぽ

Blog

DOUBLE FANTASY

2021.03.08
ジョン&ヨーコ展 ソニーミュージック六本木ミュージアムに行ってきました。 まずミュージアムの外周、レンガの塀がかっこよかった。元は何の建物だったのだろうか? インドに旅に行ったとき訪れたキャリコ博物館の塀みたいで味わいがあって・・。

あの頃を思い出したさ

まぁ塀なんか見てる人はたぶん私以外いないと思うが・・。
さて、展示を見よう。
奇跡の軌跡。
さすがこのお2人ですね~。楽しめました。
1960頃~1970頃、あの時代に欧米でバリバリやってたオノヨーコさん。
ジョンとの対等な関係、むしろヨーコさんが引っぱってた、かもしれないその関係性。
ヨーコさんって、やっぱすごい! 作品は全然古びてなくて、斬新な印象で。

ジョンレノンって我々世代はリアルタイムで観ていないし伝説の人、ポップサウンドのカリスマでございますが、映像や生声がたくさん残っているということ。いまだに大きな影響力を感じます。 ストロベリーフィールズに植栽されている植物のリストの展示していた。 そう! ジューンベリーは平井園にも植わっていますね。 (平井園6月ごろ↑)


ヨーコさんの前衛芸術作品も展示していた。 私にはよくわからんのです。

いまちっとんべぇ、こうした方がいいんでねぇの?・・とか。(多摩弁)
脚立おっぺしてやろかと思ったさ(笑)

ジョンとヨーコが知り合うきっかけになった作品らしいが・・、。
しょーじき、よくわからんかった。


肩透かしにあったような感じでねぇ~。
芸術ってやっぱむずかしい。

前衛であるってこと
これが古びない理由なのかねぇ。。
おはようございます。 いいねぇ。
ジョンとヨーコのように仲良くいきたいものだ。

「LOVE&PEACE」


1970年代に二人が唱えて本気で運動していて、あれから40年。

幸い

我が国は70年間どうゆう形にせよ戦争はなかった。
でも地球のどこかではミサイルが配備されていて、オラホに飛んでくることもあるわけで・・。


話はぜんぜん変わりますが。
最近、地元郷土史に興味があっていろいろ調べていて、鎌倉時代に、やはり平和を唱えたお坊さんがいたけんども、あれから約千年ぐらい経ってますが、なかなか平和は訪れね。

もしかしたら永遠に訪れないのかもしれねーね。
でも未来の子供たちのために・・。
まっとまっと平和にならにゃ。

夢かもしんねぇ
でも願わなかったらなーにもはじまらん

武器を棄て平和が訪れて、愛と音楽と芸術の世界になったら、いったいどんな世の中になるんじゃろか。

イメージする! そこからなにかがはじまるんじゃ。

んだべ!!

いにしえの板碑

2021.02.02
ポタリング! ボルタリングではないっす。。いや
ポタリングです。

ポリタンクでもない。

「ポタリング」とは近郊を、さんぽ程度に
軽~くサイクリングすることである。

ぽたぽた ゆったり ポタリング

もちろんママチャリである。しかも新車! 狭山丘陵周辺は古い歴史があって、いにしえの板碑がたくさん発見されています。
旧武蔵国(埼玉、東京、神奈川の周辺)辺りになるそうで・・。 石質は秩父あたりで産出された「緑泥片岩」 供養や墓標を兼ねたものとして造立されたそうだ。 「青色塔婆」とも言われていて、現代のお墓に立てる「卒塔婆」の原型とも思われる。 時代は中世のものが多く、平安末期~安土桃山ぐらいまで造られていて、江戸時代はなぜか作られていない。 大きく掘られている梵字のデザインがいんだよねぇ。 青い石も綺麗で 蓮の花の上に梵字が乗っている形で如来や菩薩の仏体を表しています。 徳蔵寺には板碑が170基も収蔵されている。 国宝級だと思うのだが・・。 平安~鎌倉にかけて東村山周辺が鎌倉街道の重要な拠点であったことがうかがえる 帰りに 峠の峰にある六地蔵へお参り この六地蔵は明治時代に赤痢が流行った時、亡くなった方々へたてた供養塔だそうで。 コロナの終息もお願いしてきた。 宝珠は地面に置いてあった。 なんとなく宝篋印塔に地蔵さまを合体したようにも見えるがどうなんでしょうか。。 帰り路に派手な団子屋に寄る この団子屋 懐かしい感じでね。 醤油を漬けちゃ焼いて、漬ちゃ焼いてねぇ・・。と よく喋る店主。 なんか志村けんさんにみえてくる。 手づく焼き団子の舌触り 最近、こんな団子屋少なくなったねぇ。なんで少なくなったのだろうか? また食べ物の話になってしまったが・・。 よーするに。東村山は鎌倉時代の重要拠点であるってことなのさ。

千川上水を辿る旅

2021.01.03
明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。 年末年始、コロナが予断を許さぬ状況だったので、人込みを避け、蜜を避け、自転車で千川上水を辿ってみることにした。

明治生まれの私の祖父は野菜をたくさん積んだ大八車で川沿いの道を下り、神田方面へ出荷してたと生前に聞いたことがあります。

前日に荷造りして朝、暗いうちに出発して土手沿いを突き進むのだが、眠たくて土手から落っこちそうになることもあったそうな。。。
重たい大八車はさぞ大変だったと思う。

今年の三が日、来客もないので、祖父の歩いた千川上水をたどってみることにした。

まずは境橋の玉川上水からの分水地点から
余談ですが、最近、みじかな生態系を調べようということで千川上水で捕獲した稚魚を水槽で飼っている。名前はよくわからない。稚魚だ。
いざ浅草!


武蔵野大学付近の庚申塔と石橋供養塔↓ ここは五日市街道との交差点のようなところ
交わるところには必ず庚申塔や神社の祠などがある。道しるべの意味もあったのでしょう。


吉祥寺橋の辺りは舗装されてない野道でキャベツ畑と屋敷林
旧道の面影が良いよねぇ。
↓青梅街道と交差する手前に鎮座する御獄神社
千川通りの始点でもあるが、現在、水は善福寺川のほうへ導水され、千川上水はこれから先、通水は停止して暗渠となっている。
千川通り沿いにある大きな東京都水道局の給水塔
今は使っているのだろうか?

ずーと暗渠ですが、ときおり、空堀が顔を見せることもある。
ここは上石神井の踏切辺り

そう。
ここはいつも茂みにパトカーが停まって取り締まりをやっているところです。


↓千川上水親水公園 むかしの写真とかも展示している。 川沿いの土手に桜が多い理由。ご存じですか?

現在の千川通りの練馬~豊島にかけての街路樹も桜が多く面影があります。

江戸の街は水害が多かった、しばしば川が氾濫することも・・。そのため堅固な土手が必要であった。

桜の根っこは生育たくましく太い根を地中に張り巡らせます。
そして毎年多くの人々が花見に訪れ、土手をしらずしらずに踏み固めるので増水に耐えられるしっかりとした土手ができたのです。
機能美と景観美を兼ねた、江戸時代の知恵ですね。


要町付近で粟島神社(アワシマジンジャ)を偶然にも発見した。
この神社の近くには千川駅が示すとおり、千川上水が流れていました。これは阿波州神社と共通する特徴で、なにか千川上水の開削と関連があるのかもしれません・・。 こちらの神社には池があって鯉が泳いでいて、水にまつわる逸話があるようである。

さらに要町通りを横断して板橋高校辺りの桜並木を過ぎるとポツンと小さな庚申塔を発見! すっかりお遍路気分~♬

気がつかないと通りすぎてしまうかの小さな庚申塔、少し傾いていたので起してあげたいね。

この先の大山の商店街 ハッピーロード大山辺りで千川上水の痕跡を見失う・・。


千川上水分配堰にたどりついた。 所在は北区滝野川6-9-1 玉川上水新座郡上保谷新田二於テ分派 樋口寸積百拾六坪八合 印刷局抄紙部、内 三拾三坪四合 王子村外廿弐ヶ村。樋口寸積百五拾坪 千川水道会社。 明治十五年七月造之
と石碑に彫ってある。


ここがゴール地点であろうか・・。
六義園給水用千川上水沈殿池の調節バルブ
これから先の余水は木樋によって本郷、小石川、下谷、浅草、神田方面に飲料水として供給されたそうだ。

江戸ッ子は水道の水で産湯に浸かるのが粋だったそうな。。
江戸で生まれ育ったってことが自慢だったのですね。


でも墨田川も近いから、そっちから水を引いた方がよさそうな感じもするが・・。

地形の高低差の関係だろうか。
いや、海に近いし塩分が多くて飲料には適さなかったのかもね。

六義園の池の水はかつて千川上水の水だったんだ。
残念ながらコロナ対策で休館であった。


近藤勇さんのお墓が近いので寄り道してみた。↓ 近代史の貴重な文化遺産である。

都電荒川線を越えて巣鴨へ 猿田彦神社↓ やはり巣鴨、人が多いので裏道を自転車で人込みをかわす。


谷中辺りは風情があるね。古民家カフェがたくさんあって寄りたいとこだったけど・・。立ち寄らず。
早くコロナが終息して気兼ねなく飲食店に入れるようになってほしいものである。 さらに山手線、埼京線を越えて スカイツリーが見えてきた。浅草まであと少しだ。
到着~!
花やしきの門前にある芳野屋
で昼食。
昭和レトロな大衆食堂。寅次郎がでてきそうな佇まい。
タンメンとビールをいただいてゆっくりする。

ふと見上げると
芳野屋の向いには淡島堂(アワシマドウ)があった。

女性の守り神らしい。 どこかで聞いた響きである。アワシマ・・・。
針供養の祠もあるし・・。

千川上水沿いの文化伝来として阿波州神社が浅草寺 淡島堂のオマージュであるということは大いに考えられる話ではある。

あくまで仮説だけどね・・。

さて、帰ろうかな
人込みを避けて浅草寺への参拝は避けて帰ろう。 帰り路は緩やかな上りが多くて、くたびれた。
浅草はやはり下町だったんだね。


おもってたほど遠くなかった。

自転車の旅もいいもんだ。
早くコロナが終息して安心して旅に行けるようになるといいですね。

良い年になりますように。

夏のお酒

2020.09.27
 今年の東京は問答無用の暑さ・・。
日差しが強く蒸し暑いのなんのって。
夜になっても暑かった。
焦げてしまった金伽羅の木↑

温暖化で使える樹種も変わってきてますね。
人間だって熱中症だもの・・。
暑さに適応できない植木もあるようです。
都市化に伴い地面が舗装され、土の部分が少ないことも温度上昇の一因かもしれません。

水分補給は大事!
植木にもたっぷりの水やりをお願いしたいです。

そんなわけで今年の夏ハマった飲み物を紹介します。 大分の麦焼酎『泰明』ふんわり涼やか

この瓶のデザインがいいんだよねぇ。金魚が泳いでるみたいな感じで涼しげで・・。
個人的にはデザイン大賞をあげたいぐらい。
庭でとれたてのカボスをギュっと絞ってソーダで割ります。
最後に薄くスライスしたカボスを浮かべても良いでしょう。
ビタミンも摂れるし疲労も回復するらしい
なにより爽やかな飲み心地・・・。


度数は19度とやや低め。
大分特産物のカボスと大分の麦焼酎が合わないわけないですもん。相性いいです!
温暖化の影響でしょうか、ちかごろ東京でもたくさん実ります。
芋でも試してみたけど、やはり香りがぶつかってもったいないですもんね。


とまぁ気が付けば蝉も鳴かなくなって、虫の音・・。

そろそろお湯割りかな。

食事も美味しくいただけて。
オススメします。一家に一本、カボスの木!

天神社と福泉寺(下保谷の歴史)

2020.09.11
 すっかり神社づいてしまって、あちこち散歩してます。

白子川源流からの橋のふもとにある大木
「井頭のやなぎ」・・・。です↓
荒川水系の白子川

練馬区東大泉の井頭公園から川の名は始まりますが、さらに上流をさかのぼると下保谷の大泉堀や西東京市保谷庁舎の裏辺りにも新川という支流があります。現在はコンクリ蓋の暗渠ですが、昔はひばりが丘の方や東大農場の敷地を貫いてその向こうからも流れていたそうで、大きな川ではないけれど、どこか、なにか・・。
空気感の違いを感じます。
地元神社めぐりも3話め。

天神社に行ってきました。
下保谷の文字が右から読むところなんかシブいよねぇ~。狛犬の細部にまで彫刻がほどこされているし・・。

この辺の集落は「荒屋敷」という土地の呼び名もあったそうで
江戸の初期、白子川の近くの荒れ地を開拓してできた集落なのだとか。 建築の細部も彫刻されていて漆喰にも高い左官技術がうかがえます。

やはり文明文化は川沿いに発展するのですね。

白子川周辺地域には川と共に歩んだ、ぶ厚い歴史があるようです。
法華経の教線が中世後期に白子川を遡り教えを広めた痕跡があり
このへんは日蓮宗教圏でして日蓮聖人が巡礼に訪れたという話もある。
坊ヶ谷戸墓地の日蓮像

かつて天神社は、日蓮宗の三十番神を祀り「番神様」(バンジンサマ)と呼ばれていた。
創建は天正期(推定)とされ、明治元年(1868年)に出された神仏分離令により祭神を三十番神の中の一柱である菅原道真に改めて今に至っています。
梅の紋様は天満宮の証。
風格あるねぇ~
福泉寺にも行って「三十番神」拝見させていただきました。
Copyright(c)Nisitoukyo city.All raight reserved.

明治政府に焼却処分を命ぜられられた三十番神は住民が密かに、こっそり持ち出して福泉寺に安置して現在に至っている。

今では市指定30号の文化財

先人の苦闘が伝わってくるようで下保谷村における江戸末期から明治ごろ、そして現在までの地域の信仰を物語る貴重な歴史遺産だと思いました。
御住職。とっても気さくな方でいろいろお話聞かせいただきました。

白子川流域には室町時代中頃から人が住み始めた。その根拠は1461年~1470年頃にかけての題目盤碑が川沿いに多数出土している。

つまり・・。文化的影響を与えた川であるとのこと。

福泉寺と天神社、両方で建ててある下保谷村の題目の石碑は路傍にも三基が現存しており、日蓮宗教圏の様相を如実に伝えている。
語りつくせぬほどの奥深い話がある天神社と福泉寺
白子川周辺に伝わる下保谷の歴史


しかしまぁ今年の夏は暑かった。

神社に訪れると鎮守の森が涼しくて涼しくて・・。
思えば土のうえを歩くことも都会じゃ少なくなりましたねぇ・・。

地元の歴史とか知って、参拝すると、より一層深い清らかな気持ちになります。


いまさらですが、早くコロナが収まるように祈願してきました。

前の5件へ

次の5件へ