けっきょく。今年の夏はどこにも旅に行かなかったんだけど・・。
地元の神社とか巡って石碑とか丹念に読み解いたり古い地元の歴史を調べたら、なんだか面白くて。
夏の自由研究みたいな感じ。
ある意味、贅沢な時間を過ごせました。
日中は痺れるような暑さなので夕方、蝉が鳴くころ
「氷川神社」に行ってきました。
あの氷川神社が西東京市内にあるなんて、ご存じでしたか?
社殿の造りはシンプルで大きくて急勾配の屋根が特徴的。
ひっそりと静まりかえっていて、いいお宮でした。
小高い丘の上に位置していて、境内にある大きな松が迫力あります。
旧上保谷村下柳沢集落の鎮守様は榛名権現社でした。明治末の神社合祀令によって、この鎮守神も廃神の対象となり、反対運動などもあって混乱の末、大正4年(1915)に尉殿神社に合祀されたのち、大正9年には再び氏子によってこの地に戻された。古くからの榛名参拝講がその後も氏子間で守られていて、鎮守神を中心に村意識を形成していたのでしょう。しかしながら氏子の希望は東京府の許すところではなく、伝統の信仰とは関係のない、氷川神社を昭和17年に埼玉県浦和市から引宮したそうです。
氷川神社の隣には再びこの地に戻った榛名神社の小さな木祠がありました。
その前に立つ一対の笠付塔があります。
この笠付塔が明治時代までに、この地の人々を祀り守ってきた榛名大権現の数少ない遺物の一つとなっています。
文政二年・・・。江戸の後期(1819)に残したものですね。
社伝によると創建は永禄元年(1558)だそうで、室町時代からある古い神社だったんですね。
創建のころの下柳沢集落は神社を鎮守様としてに単独の集落を形成していたようです。近所には石神井川も流れていて水場も近いし、古代遺跡の下野谷遺跡もあるぐらいだから、魚やシジミも採れて、人が住むには条件の良い土地だったのでしょう。
↑石神井川にて
そこに住む人々が300年以上も鎮守様を中核に村を形成していた伝統って大事だと思います。
その時の政府の政策で永く続いた伝統文化が、一気に変わってしまうこともどうかと思う。
またとり戻した宗教民俗の根強さもすごいことだと思うし・・。
未来永劫、土地の文化を伝えるってことは容易なことではないのですね。