平井さんぽ

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暗渠ウォーク  新川さんぽ その2

2021.05.27
 旧上保谷エリアって水路だらけじゃねーの・・。

気になる小道もたくさんあって。
水路の行方が気になるんだよね。

今は住宅街だけど、江戸時代ころの小川が流れていた風景とか勝手に想像したりして。。。

はじめて通る道も

どこか懐かしいのです。
草花と生垣の濃い緑が美しい・・。
この辺はツルマの弁天池がかつてあったそうだが、現在は公園になって痕跡すらありません。
泉町に突如、開渠現る。

全長115m。
現在、流れはなさそう。 そして、水路は、あの駄菓子屋の脇を通過するのだ。 歩き疲れたのでチェリオを飲んで気合を入れなおす。

駄菓子屋のおばちゃんの話では、昔、雨のあと如意輪寺の方へ子供たちが行くと、泥遊びをして泥だらけになって帰ってきた・・・。らしい。

沼でもあったのかね。

考えてみたら、最近泥だらけの子供って、近所でみたことないねぇ。植木屋ぐらいだねぇ。泥だらけになってるのは・・。



田無エリアに入るとコンクリ蓋のサイズが小さくなります。
保谷と管轄が違うのがくっきりわかります。スペース的にも水路幅が取りづらかったのでしょうか。
谷戸新道にたどり着いた。

野分初稲荷/白山神社の脇を通り、手を合わせる。
田無の始まりは谷戸周辺だそうで、古くから祀られていた野分初稲荷は現在は田無神社に合祀されていますが、この地にあった白山神社と共に、分祀されて再び祠が戻ってきているようです。


この先が「東大農場」、新川南流の源流地の一つです。 天文観測のレーダーのようなものがクルクル回っている。

この源流付近で折り返して、田無駅寄りの新川南流田無エリアを歩きます。

これが川・・。?

たしかに東大農場付近の湧水地から細い暗渠をひいて谷戸新道を横断しているが・・。 住宅街を直角に曲がり直線的な流路なので、単なる排水路としか思えない。

 むかしこの辺には銭湯があったそうで、営業が終わると、この川に湯気が立ち昇っていたという目撃談を年配の方から聞いたことがある。

これが白子川の支流であると主張する西東京市サイドと、あれは排水路だから白子川の支流ではないとする練馬区サイドとの見解の違いもあるそうで・・。
後日、雨の日に北原町アパート辺りの遊水地に行ってみたら水が溜まっていて、遊水池としてちゃんと機能していた。

やはり新川南流は、れっきとした川なのか・・。なんなのか?
保谷町ローズガーデンに寄り道。
コロナ禍で封鎖中とのこと・・。
トラロープで立ち入り禁止で残念。。

↑は新川南流の源流地の一つ。緑の防草シートに覆われているが、かつて「エドジマ」と呼ばれた沼があり、水路脇にはソメイヨシノの並木が残っていて、昔の面影を感じます。
地下水堆が高いからであろうか。ソメイヨシノの立ち枯れが見うけられる。

水路が鉤状に湾曲していて桜並木があり、この辺は独特な雰囲気を感じます。
地元の方の話では、昔は小川が流れていて蛍もいたそうだ・・。

一面、芝畑だったけど・・。急速な宅地化、ベットタウン化が進んで・・。

ドブ川と呼ばれ、子供たちは飛び越えて遊んでいた。

そしていつの間にか、コンクリ蓋が掛けられ・・。という話

のどかな風景とか
失ってから気づくことってあるかと思う。


この先の、ノスタルジックな商店街で一息。
メンチカツを立ち食いする。
うまい!
メンチカツってあまり得意な食べ物ではなかったが、ここのメンチは美味いと思った。
そろそろ冷たいビールも飲みたくなってきた。


再び如意輪寺周辺まで戻る。
ここは新川北流、南流の合流地点である。 右手はマツバ池(的場池)と呼ばれる湧水地の跡地、大小ふたつの池があったそうだ。


今回の新川暗渠ウォークはここで終了!
さんざん歩きまわりました。

こんなに水路があるんだったら、一部コンクリ蓋を開けて千川上水みたいに清流復活!
とかやって整備したら、子供たちの遊び場や散歩道としても素敵なんだけど。行政には期待するところであります。

日頃、なにげなく車で通りすぎてしまう地元も、よーく大事に大事に調べてみると面白い発見があるもんです。

保谷四軒寺周辺も、鎌倉時代から人が住み始めている古い文化圏、穴場の観光スポットととしてフューチャーすれば町の魅力の一つになるかもしれませんね。
暗渠ウォーキングマップとかあっても楽しそう。
しとしと雨が続きます。
アジサイでも眺めに、もう一廻りしてこようかね。

暗渠ウォーク  新川さんぽ

2021.05.22
全国の暗渠ファンのみなさん、こんにちは!

今回は西東京の「新川さんぽ」に行ってきました。

新川ってどこ?っていう方もいらっしゃるかと思うのでちょっと説明しますね・・。

西東京市の東大農場辺りが源流のスタート地点で最後は白子川に接続しています。
現在ほとんどがコンクリートの蓋をした暗渠で水も流れていません。
古地図にも載っています。

けっきょく今年のGWもどこにも行けなかったんだけど・・。ヤギサワベースの店主から新川ウォーキングのお誘いがあったので行ってみることにした。


まず保谷駅からスタートだ。 保谷駅から東伏見方面に向けては緩やかな下り坂である。新道が開通するとよくわかる。

別にドラマチックな坂ではない。でもこの勾配が重要なんだよね。水は高い方へは行かないからねぇ。 東町付近のツツジ、やはり5月が見頃。

現在は行き止まりの水路跡もあったりして
草の生い茂る道なき道。
川歩きってい言うからサンダルできた輩がいて大変だったね。 隣が梅林で有刺鉄線の草っぱらの小道を突き進むと突然、開渠が現れる。
なぜ突然の開渠なのか?

この瞬間、ボルテージが上がります。

有刺鉄線って「バラ線」って呼んでた。子供のころ、怪我をする奴って必ずいたよね。
↓は俗にいう「碧山バイパス」分岐点付近のマンホールinマンホールである。
溢れた水は、このバイパスを通じて石神井川方面へ導水されているんだ。
碧山って名前が良いよね。どこにあんのかね?エメラルド色の山って・・。素敵なお名前。
芝生の校庭が爽やかで・・。素晴らしい!
きっと在校生と父兄の皆さんの協力で築き上げた芝生が、まさに!碧山(エメラルドの山)なんですね。

碧山小学校の下にも、かつて川が流れていたそうで。痕跡がありました。


中町付近にバラの手入れが良く行き届いたお宅がありました。素敵! 西東京市保谷庁舎周辺は新しいコンクリ蓋でグレーチングの箇所もあり、場所によっては水がにじみ出ているのも伺える。

なんと!西東京市スポーツセンターのエントランスを横断しているのだから驚きだ。
保谷新道を横断して泉町に入る。
河原撫子(カワラナデシコ)がなんとも可愛らしい。
夢に出てきそうな風景、歩かないと見つからない景色ってあるよね。

さすが泉町!地下水堆が豊富なので、ときおり現れるグレーチングの隙間から水面がうかがえる。
水深は30㎝~50㎝ほど、水は澄んで綺麗。
生き物がいたりすると、暗渠マニアの興奮度合は一気に高まります。

この辺は旧上保谷エリアでも早くから人が住み始めていました。水が取りやすいからでしょうか。
横山道は鎌倉街道でありまして保谷四軒寺があります。
如意輪寺の廻りにも暗渠があり、旧山門の前を横断している。
如意輪寺は500年ぐらい前からあるらしい
ってことは!
もっと前から人々は住んでいたことになる。

たしかに、この辺、神社仏閣が多い
お寺をぐるりと回る暗渠、風情あるんだよねぇ
如意輪寺と保谷志木線をまたいだ先の水路は一部開渠になっていて、構造的に謎である。。 ヤクルトの販売所付近なんだけど、このトンネルの先が気になる。

ブログでご紹介できるのは、ごく一部、

旧上保谷エリアって、かつては水路が張り巡らされていて、水の都「ベネツィア」みたいだったんだ。
って。言い過ぎた。失礼!(笑)

コンクリ蓋がなければねぇ~コン畜生!

長くなるから、この辺で。
後半へ続きます・・。

DOUBLE FANTASY

2021.03.08
ジョン&ヨーコ展 ソニーミュージック六本木ミュージアムに行ってきました。 まずミュージアムの外周、レンガの塀がかっこよかった。元は何の建物だったのだろうか? インドに旅に行ったとき訪れたキャリコ博物館の塀みたいで味わいがあって・・。

あの頃を思い出したさ

まぁ塀なんか見てる人はたぶん私以外いないと思うが・・。
さて、展示を見よう。
奇跡の軌跡。
さすがこのお2人ですね~。楽しめました。
1960頃~1970頃、あの時代に欧米でバリバリやってたオノヨーコさん。
ジョンとの対等な関係、むしろヨーコさんが引っぱってた、かもしれないその関係性。
ヨーコさんって、やっぱすごい! 作品は全然古びてなくて、斬新な印象で。

ジョンレノンって我々世代はリアルタイムで観ていないし伝説の人、ポップサウンドのカリスマでございますが、映像や生声がたくさん残っているということ。いまだに大きな影響力を感じます。 ストロベリーフィールズに植栽されている植物のリストの展示していた。 そう! ジューンベリーは平井園にも植わっていますね。 (平井園6月ごろ↑)


ヨーコさんの前衛芸術作品も展示していた。 私にはよくわからんのです。

いまちっとんべぇ、こうした方がいいんでねぇの?・・とか。(多摩弁)
脚立おっぺしてやろかと思ったさ(笑)

ジョンとヨーコが知り合うきっかけになった作品らしいが・・、。
しょーじき、よくわからんかった。


肩透かしにあったような感じでねぇ~。
芸術ってやっぱむずかしい。

前衛であるってこと
これが古びない理由なのかねぇ。。
おはようございます。 いいねぇ。
ジョンとヨーコのように仲良くいきたいものだ。

「LOVE&PEACE」


1970年代に二人が唱えて本気で運動していて、あれから40年。

幸い

我が国は70年間どうゆう形にせよ戦争はなかった。
でも地球のどこかではミサイルが配備されていて、オラホに飛んでくることもあるわけで・・。


話はぜんぜん変わりますが。
最近、地元郷土史に興味があっていろいろ調べていて、鎌倉時代に、やはり平和を唱えたお坊さんがいたけんども、あれから約千年ぐらい経ってますが、なかなか平和は訪れね。

もしかしたら永遠に訪れないのかもしれねーね。
でも未来の子供たちのために・・。
まっとまっと平和にならにゃ。

夢かもしんねぇ
でも願わなかったらなーにもはじまらん

武器を棄て平和が訪れて、愛と音楽と芸術の世界になったら、いったいどんな世の中になるんじゃろか。

イメージする! そこからなにかがはじまるんじゃ。

んだべ!!

いにしえの板碑

2021.02.02
ポタリング! ボルタリングではないっす。。いや
ポタリングです。

ポリタンクでもない。

「ポタリング」とは近郊を、さんぽ程度に
軽~くサイクリングすることである。

ぽたぽた ゆったり ポタリング

もちろんママチャリである。しかも新車! 狭山丘陵周辺は古い歴史があって、いにしえの板碑がたくさん発見されています。
旧武蔵国(埼玉、東京、神奈川の周辺)辺りになるそうで・・。 石質は秩父あたりで産出された「緑泥片岩」 供養や墓標を兼ねたものとして造立されたそうだ。 「青色塔婆」とも言われていて、現代のお墓に立てる「卒塔婆」の原型とも思われる。 時代は中世のものが多く、平安末期~安土桃山ぐらいまで造られていて、江戸時代はなぜか作られていない。 大きく掘られている梵字のデザインがいんだよねぇ。 青い石も綺麗で 蓮の花の上に梵字が乗っている形で如来や菩薩の仏体を表しています。 徳蔵寺には板碑が170基も収蔵されている。 国宝級だと思うのだが・・。 平安~鎌倉にかけて東村山周辺が鎌倉街道の重要な拠点であったことがうかがえる 帰りに 峠の峰にある六地蔵へお参り この六地蔵は明治時代に赤痢が流行った時、亡くなった方々へたてた供養塔だそうで。 コロナの終息もお願いしてきた。 宝珠は地面に置いてあった。 なんとなく宝篋印塔に地蔵さまを合体したようにも見えるがどうなんでしょうか。。 帰り路に派手な団子屋に寄る この団子屋 懐かしい感じでね。 醤油を漬けちゃ焼いて、漬ちゃ焼いてねぇ・・。と よく喋る店主。 なんか志村けんさんにみえてくる。 手づく焼き団子の舌触り 最近、こんな団子屋少なくなったねぇ。なんで少なくなったのだろうか? また食べ物の話になってしまったが・・。 よーするに。東村山は鎌倉時代の重要拠点であるってことなのさ。

千川上水を辿る旅

2021.01.03
明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。 年末年始、コロナが予断を許さぬ状況だったので、人込みを避け、蜜を避け、自転車で千川上水を辿ってみることにした。

明治生まれの私の祖父は野菜をたくさん積んだ大八車で川沿いの道を下り、神田方面へ出荷してたと生前に聞いたことがあります。

前日に荷造りして朝、暗いうちに出発して土手沿いを突き進むのだが、眠たくて土手から落っこちそうになることもあったそうな。。。
重たい大八車はさぞ大変だったと思う。

今年の三が日、来客もないので、祖父の歩いた千川上水をたどってみることにした。

まずは境橋の玉川上水からの分水地点から
余談ですが、最近、みじかな生態系を調べようということで千川上水で捕獲した稚魚を水槽で飼っている。名前はよくわからない。稚魚だ。
いざ浅草!


武蔵野大学付近の庚申塔と石橋供養塔↓ ここは五日市街道との交差点のようなところ
交わるところには必ず庚申塔や神社の祠などがある。道しるべの意味もあったのでしょう。


吉祥寺橋の辺りは舗装されてない野道でキャベツ畑と屋敷林
旧道の面影が良いよねぇ。
↓青梅街道と交差する手前に鎮座する御獄神社
千川通りの始点でもあるが、現在、水は善福寺川のほうへ導水され、千川上水はこれから先、通水は停止して暗渠となっている。
千川通り沿いにある大きな東京都水道局の給水塔
今は使っているのだろうか?

ずーと暗渠ですが、ときおり、空堀が顔を見せることもある。
ここは上石神井の踏切辺り

そう。
ここはいつも茂みにパトカーが停まって取り締まりをやっているところです。


↓千川上水親水公園 むかしの写真とかも展示している。 川沿いの土手に桜が多い理由。ご存じですか?

現在の千川通りの練馬~豊島にかけての街路樹も桜が多く面影があります。

江戸の街は水害が多かった、しばしば川が氾濫することも・・。そのため堅固な土手が必要であった。

桜の根っこは生育たくましく太い根を地中に張り巡らせます。
そして毎年多くの人々が花見に訪れ、土手をしらずしらずに踏み固めるので増水に耐えられるしっかりとした土手ができたのです。
機能美と景観美を兼ねた、江戸時代の知恵ですね。


要町付近で粟島神社(アワシマジンジャ)を偶然にも発見した。
この神社の近くには千川駅が示すとおり、千川上水が流れていました。これは阿波州神社と共通する特徴で、なにか千川上水の開削と関連があるのかもしれません・・。 こちらの神社には池があって鯉が泳いでいて、水にまつわる逸話があるようである。

さらに要町通りを横断して板橋高校辺りの桜並木を過ぎるとポツンと小さな庚申塔を発見! すっかりお遍路気分~♬

気がつかないと通りすぎてしまうかの小さな庚申塔、少し傾いていたので起してあげたいね。

この先の大山の商店街 ハッピーロード大山辺りで千川上水の痕跡を見失う・・。


千川上水分配堰にたどりついた。 所在は北区滝野川6-9-1 玉川上水新座郡上保谷新田二於テ分派 樋口寸積百拾六坪八合 印刷局抄紙部、内 三拾三坪四合 王子村外廿弐ヶ村。樋口寸積百五拾坪 千川水道会社。 明治十五年七月造之
と石碑に彫ってある。


ここがゴール地点であろうか・・。
六義園給水用千川上水沈殿池の調節バルブ
これから先の余水は木樋によって本郷、小石川、下谷、浅草、神田方面に飲料水として供給されたそうだ。

江戸ッ子は水道の水で産湯に浸かるのが粋だったそうな。。
江戸で生まれ育ったってことが自慢だったのですね。


でも墨田川も近いから、そっちから水を引いた方がよさそうな感じもするが・・。

地形の高低差の関係だろうか。
いや、海に近いし塩分が多くて飲料には適さなかったのかもね。

六義園の池の水はかつて千川上水の水だったんだ。
残念ながらコロナ対策で休館であった。


近藤勇さんのお墓が近いので寄り道してみた。↓ 近代史の貴重な文化遺産である。

都電荒川線を越えて巣鴨へ 猿田彦神社↓ やはり巣鴨、人が多いので裏道を自転車で人込みをかわす。


谷中辺りは風情があるね。古民家カフェがたくさんあって寄りたいとこだったけど・・。立ち寄らず。
早くコロナが終息して気兼ねなく飲食店に入れるようになってほしいものである。 さらに山手線、埼京線を越えて スカイツリーが見えてきた。浅草まであと少しだ。
到着~!
花やしきの門前にある芳野屋
で昼食。
昭和レトロな大衆食堂。寅次郎がでてきそうな佇まい。
タンメンとビールをいただいてゆっくりする。

ふと見上げると
芳野屋の向いには淡島堂(アワシマドウ)があった。

女性の守り神らしい。 どこかで聞いた響きである。アワシマ・・・。
針供養の祠もあるし・・。

千川上水沿いの文化伝来として阿波州神社が浅草寺の淡島堂に影響を受けたということは大いに考えられる話ではある。

あくまで仮説だけどね・・。

さて、帰ろうかな
人込みを避けて浅草寺への参拝は避けて帰ろう。 帰り路は緩やかな上りが多くて、くたびれた。
浅草は下町だったんだね。


おもってたほど遠くなかった。

自転車の旅もいいもんだ。
早くコロナが終息して安心して旅に行けるようになるといいですね。

良い年になりますように。

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