旧上保谷エリアって水路だらけじゃねーの・・。
気になる小道もたくさんあって。
水路の行方が気になるんだよね。
今は住宅街だけど、江戸時代ころの小川が流れていた風景とか勝手に想像したりして。。。
はじめて通る道も
どこか懐かしいのです。
草花と生垣の濃い緑が美しい・・。
この辺はツルマの弁天池がかつてあったそうだが、現在は公園になって痕跡すらありません。
泉町に突如、開渠現る。
全長115m。
現在、流れはなさそう。
大雨の時、流れるそうだ。
そして、水路は、あの駄菓子屋の脇を通過するのだ。
歩き疲れたのでチェリオを飲んで気合を入れなおす。
駄菓子屋のおばちゃんの話では、昔、雨のあと如意輪寺の方へ子供たちが行くと、泥遊びをして泥だらけになって帰ってきた・・・。らしい。
沼でもあったのかね。
考えてみたら、最近泥だらけの子供って、近所でみたことないねぇ。植木屋ぐらいだねぇ。泥だらけになってるのは・・。
田無エリアに入るとコンクリ蓋のサイズが小さくなります。
保谷と管轄が違うのがくっきりわかります。スペース的にも水路幅が取りづらかったのでしょうか。
谷戸新道にたどり着いた。
野分初稲荷/白山神社の脇を通り、手を合わせる。
田無の始まりは谷戸周辺だそうで、古くから祀られていた野分初稲荷は現在は田無神社に合祀されていますが、この地にあった白山神社と共に、分祀されて再び祠が戻ってきているようです。
この先が「東大農場」、新川南流の源流地の一つです。
天文観測のレーダーのようなものがクルクル回っている。
この源流付近で折り返して、田無駅寄りの新川南流田無エリアを歩きます。
これが川・・。?
たしかに東大農場付近の湧水地から細い暗渠をひいて谷戸新道を横断しているが・・。
住宅街を直角に曲がり直線的な流路なので、単なる排水路としか思えない。
むかしこの辺には銭湯があったそうで、営業が終わると、この川に湯気が立ち昇っていたという目撃談を年配の方から聞いたことがある。
これが白子川の支流であると主張する西東京市サイドと、あれは排水路だから白子川の支流ではないとする練馬区サイドとの見解の違いもあるそうで・・。
後日、雨の日に北原町アパート辺りの遊水地に行ってみたら水が溜まっていて、遊水池としてちゃんと機能していた。
やはり新川南流は、れっきとした川なのか・・。なんなのか?
保谷町ローズガーデンに寄り道。
コロナ禍で封鎖中とのこと・・。
トラロープで立ち入り禁止で残念。。
↑は新川南流の源流地の一つ。緑の防草シートに覆われているが、かつて「江戸島」(エドジマ)と呼ばれた沼があり、水路脇にはソメイヨシノの並木が残っていて、昔の面影を感じます。
地下水堆が高いからであろうか。ソメイヨシノの立ち枯れが見うけられる。
水路が鉤状に湾曲していて桜並木があり、この辺は独特な雰囲気を感じます。
地元の方の話では、昔は小川が流れていて蛍もいたそうだ・・。
一面、芝畑だったけど・・。急速な宅地化、ベットタウン化が進んで・・。
ドブ川と呼ばれ、子供たちは飛び越えて遊んでいた。
そしていつの間にか、コンクリ蓋が掛けられ・・。という話
のどかな風景とか
失ってから気づくことってあるかと思う。
この先の、ノスタルジックな商店街で一息。
メンチカツを立ち食いする。
うまい!
メンチカツってあまり得意な食べ物ではなかったが、ここのメンチは美味いと思った。
そろそろ冷たいビールも飲みたくなってきた。
再び如意輪寺周辺まで戻る。
ここは新川北流、南流の合流地点である。
右手はマツバ池(的場池)と呼ばれる湧水地の跡地、大小ふたつの池があったそうだ。
今回の新川暗渠ウォークはここで終了!
さんざん歩きまわりました。
こんなに水路があるんだったら、一部コンクリ蓋を開けて千川上水みたいに清流復活!
とかやって整備したら、子供たちの遊び場や散歩道としても素敵なんだけど。行政には期待するところであります。
日頃、なにげなく車で通りすぎてしまう地元も、よーく大事に大事に調べてみると面白い発見があるもんです。
保谷四軒寺周辺も、鎌倉時代から人が住み始めている古い文化圏、穴場の観光スポットととしてフューチャーすれば町の魅力の一つになるかもしれませんね。
暗渠ウォーキングマップとかあっても楽しそう。
しとしと雨が続きます。
アジサイでも眺めに、もう一廻りしてこようかね。