今年もよろしくお願いいたします。

明治生まれの私の祖父は野菜をたくさん積んだ大八車で川沿いの道を下り、神田方面へ出荷してたと生前に聞いたことがあります。
前日に荷造りして朝、暗いうちに出発して土手沿いを突き進むのだが、眠たくて土手から落っこちそうになることもあったそうな。。。
重たい大八車はさぞ大変だったと思う。
今年の三が日、来客もないので、祖父の歩いた千川上水をたどってみることにした。
まずは境橋の玉川上水からの分水地点から


武蔵野大学付近の庚申塔と石橋供養塔↓

交わるところには必ず庚申塔や神社の祠などがある。道しるべの意味もあったのでしょう。
吉祥寺橋の辺りは舗装されてない野道でキャベツ畑と屋敷林
旧道の面影が良いよねぇ。

↓青梅街道と交差する手前に鎮座する御獄神社


今は使っているのだろうか?
ずーと暗渠ですが、ときおり、空堀が顔を見せることもある。

そう。
ここはいつも茂みにパトカーが停まって取り締まりをやっているところです。

↓千川上水親水公園



現在の千川通りの練馬~豊島にかけての街路樹も桜が多く面影があります。
江戸の街は水害が多かった、しばしば川が氾濫することも・・。そのため堅固な土手が必要であった。
桜の根っこは生育たくましく太い根を地中に張り巡らせます。
そして毎年多くの人々が花見に訪れ、土手をしらずしらずに踏み固めるので増水に耐えられるしっかりとした土手ができたのです。
機能美と景観美を兼ねた、江戸時代の知恵ですね。
要町付近で粟島神社(アワシマジンジャ)を偶然にも発見した。


さらに要町通りを横断して板橋高校辺りの桜並木を過ぎるとポツンと小さな庚申塔を発見!

気がつかないと通りすぎてしまうかの小さな庚申塔、少し傾いていたので起してあげたいね。
この先の大山の商店街 ハッピーロード大山辺りで千川上水の痕跡を見失う・・。
千川上水分配堰にたどりついた。 所在は北区滝野川6-9-1

と石碑に彫ってある。
ここがゴール地点であろうか・・。
六義園給水用千川上水沈殿池の調節バルブ

江戸ッ子は水道の水で産湯に浸かるのが粋だったそうな。。
江戸で生まれ育ったってことが自慢だったのですね。
でも墨田川も近いから、そっちから水を引いた方がよさそうな感じもするが・・。
地形の高低差の関係だろうか。
いや、海に近いし塩分が多くて飲料には適さなかったのかもね。
六義園の池の水はかつて千川上水の水だったんだ。

近藤勇さんのお墓が近いので寄り道してみた。↓

都電荒川線を越えて巣鴨へ


谷中辺りは風情があるね。古民家カフェがたくさんあって寄りたいとこだったけど・・。立ち寄らず。
早くコロナが終息して気兼ねなく飲食店に入れるようになってほしいものである。




花やしきの門前にある芳野屋
で昼食。
昭和レトロな大衆食堂。寅次郎がでてきそうな佇まい。

ふと見上げると
芳野屋の向いには淡島堂(アワシマドウ)があった。
女性の守り神らしい。


千川上水沿いの文化伝来として阿波州神社が浅草寺 淡島堂のオマージュであるということは大いに考えられる話ではある。
あくまで仮説だけどね・・。
さて、帰ろうかな
人込みを避けて浅草寺への参拝は避けて帰ろう。

浅草はやはり下町だったんだね。
おもってたほど遠くなかった。
自転車の旅もいいもんだ。
早くコロナが終息して安心して旅に行けるようになるといいですね。
良い年になりますように。