さすがに大寒ですな。
お~寒・・。ホースの水も昼頃までは出ません。
神社には、忘れ去られた歴史が冷凍保存されていることがありまして。。
阿波洲神社の浄水盤には、村人の記憶が刻み込まれています。
この浄水盤
じつは貴重な歴史史跡だったのです。
向かって左側面には「明治十五年九月 平井伊左衛門」と読み取れます。
御門訴事件が明治2~3年なので、12年が経過して干支が一回りした頃、なにか思うこともあったのでしょうか・・。
神社に浄水盤を据えて名前を残したのですね。
この伊左衛門さん、奥様の志賀さんと新政府の県側の役人から拷問をうけたそうで。後遺症も残るほどの厳しいものであったそうで・・。
よくぞ生き延びました。
上保谷新田や周辺の村々でも、多数の犠牲者がでたそうです。
このような大事件となった「御門訴事件」
品川県による新しい社倉制度は僅か2年で廃止。
武蔵野新田の土地の特性や実状に合わなかったんですね。
佐賀から派遣された古賀一平知事は、失脚して佐賀に戻されたそうで・・。
社倉政策は明治新政府のあきらかな失政でした。
右側面は「世話人 平井週作 櫻井峯吉 保谷長太郎 内藤新宿石工 村松米吉」と読み取れます。
平井週作さん、幼名は虎之介という名前でして、関前新田の井口庄司さんと御門訴リーダーツートップの一人。
田無の八反歩から日本橋の浜町まで農民約500人を率いたわけだから
考えられない、凄いエネルギーですね!
裏面には当時の村人の名前が刻み込まれています。
下田、保谷、櫻井、中村、岩崎、都築、名古屋、平井、金子、秋元など35名の名前が見えますね。これらの姓は上保谷村の姓と一致していて、親村と新田の関係を示す明治初期の貴重な一史料である。
あの人の先祖かなぁ、この人の先祖かな・・。と思いを馳せて眺めます。
明治初期の、約150年前ころは全国各地でハレーションのように幕政時代の十倍以上の一揆が勃発していました。
「御門訴」は一揆とは違って暴動を伴わないもので、苦しさ故に品川県庁の門前まで訴えにいったわけですが、佐賀から派遣された古賀定雄知事は武力で鎮圧するとともに首謀者を投獄したそうです。
江戸から明治に移行した時代に武蔵野新田一帯の農民を苦しませることになった明治新政府の社倉制度。
それに対して農民たちが立ち上がった!
武器を使わない訴え「門訴」
その時代に生きた人々の勢いってすごいよね。
農民たち勇気の歴史
阿波洲神社にも冷凍保存されています。
150年の時を超えて・・。
しかしこの浄水盤、2tぐらいはある。
クレーンもトラックもない、自転車すら無い時代、運搬して据え付けるなんて
さぞ大変だったことでしょう。