平井さんぽ

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琵琶湖めぐり

2025.10.12
 私はどうも滋賀が好きなようである
白州正子は琵琶湖の文化と風土をこよなく愛した

今回の旅の目的のひとつは、そんな白州正子の訪れた地を巡ってみようと思ったわけである。
向源寺の国宝の十一面観音菩薩
こんなにもお洒落で美しい観音様があっただろうか。インドのシヴァ神にも通ずるお姿である。

今から約1300年前、疱瘡が大流行して死者が相次いだので、厄除けの祈願をこめて彫られたそうです。
戦乱の時代には土中に埋めて難をまぬがれたそうで…。
こんな素朴なお寺だからこそ気ずかれず現存できたのでしょう。

白州正子さんが50年前に訪れた際は、暗いお堂の中に安置されていて、真っ黒に見える観音様を懐中電灯で照らし上げて見物していたそうです。


和舟に乗ってきた。
近江商人たちが築いた街並み、お堀巡り水郷巡りなど風情がありますな。
それまでのスケジュールがタイトだったので、のんびりした舟に乗ったら余計に頭がとろけました。
滋賀の風景と言えば焼杉の板材が私は思い浮かびます。
湖北の菅浦の集落を散歩
あきらかに東の京都のほうとは空気が違う。空気が透明であった。
白鷺が群れをなしていた。小魚がたくさんいるのだろうか

向源寺に保谷市ひばりが丘の方が彫刻を寄付されていて親近感がわきました。

滋賀はまさに「かくれ里」
また、ゆっくり訪れたい次第である。

伊豆GW

2025.05.22
 ゴールデンウイークは長女と伊豆に行ってきた。 自然豊かで観光資源も豊富

伊豆は本当に素晴らしいですね。 渋滞も夜中に走ればなんのその…

娘も就職して一人暮らし。

最近また背が少し伸びたそうな…
なかなか会う機会もないので旅を通じて、美味しいものも食べて温泉入って親子共々癒されましたー

地元の歴史をもっと身近に

2024.08.24
『子ども武蔵野市史 改訂版』が出版されました。
「ゾウのはな子」の話の内容変更
新しく「電話の発展」の話や、井の頭池の「かいぼり」の話など、盛りだくさんで追加されていました。

もちろん西東京市にも、ゆかりある「御門訴事件」の話も載っています。
武蔵野市では小学校5.6年生、中学生の地元郷土史の副読本として使われているそうです。
イラストも素朴で、とっても読みやすいお勧めの一冊です!


御門訴事件のことを、地元の方々にも、コメントをいただいたのでご紹介いたします。


漫画家、剣術家 とみ新造さん
 明治初期は全国で農民一揆が江戸時代より十倍以上多いものでした。
令和4年5月に阿波洲神社を参拝している時に平井さんと知り合い、神社内や近辺の石碑の説明から御門訴事件を知りました。
社倉米制度に不満をもった五百人以上の農民の品川県庁への門訴でしたが、武器を持たない非暴力直訴でした。しかしながら県庁側は峻厳に武力鎮圧、牢死、懲役刑、拷問、逃亡など多くの犠牲者が出ました。
この御門訴事件は政府による箝口令が布かれていたものか、長年地元の人々も語る事がなかったようでした。

今、歴史への表出は、犠牲者の御霊も、さぞ浮かばれることでしょう。
歴史は決して過去のものではなく、現在と、未来へと繋がったものなので。



「焼き鳥グッド」並木靜夫さん
 お恥ずかしい話ですが、御門訴事件のことは、近年まで知りませんでした。
知らないというところから始まり、私の祖先の親類筋の並木綱五郎の一番弟子が、御門訴事件の中心人物である平井週作である。 おそらくそうであろうと石碑や資料などから読み解けて、江戸末期から明治初期の激動の時代背景など含め、よく知らなければ伝えられない話だなぁと、あらためて思いました。
やはり歴史に一過性のものはなく、脈々と繋がりが出てくるもなので、調べだすと興味が尽きないものですね。



田無近辺地方史研究会 松崎博さん
 御門訴事件の発端は社倉制度という実質的な重税に対し、何とかできないかという地域農民の非暴力な誓願だったと思います。
ところが倒幕闘争で出遅れた佐賀県出身の古賀品川県知事は、先行する薩摩長州の官僚に対抗するべく、新政府内で収税実績を挙げること必要を強く感じたことでしょう。また幕府の地方分権政治から、天皇を奉じた強力な中央集権政治への移行があり、武蔵野新田の農民は、その狭間で犠牲になったと理解することもできそうです。
同じ武州といっても、旧代官の江川太郎左衛門が引きつづき知事として管理した韮山県では、品川県とは違い大きな混乱が無かったことは特筆するべきかと思います。



ヤギサワベース 中村晋也さん 御門訴事件のことを知り、そして首謀者の一人が平井姓だということで、すぐに平井園の当主である平井純一さんに話を聞きに行きました。
結果、平井週作とは直接のつながりはなかったわけですが、このブログの読者ならご存じの通り、いくつかの新発見も含め、彼の御門訴事件についての調査は今日まで続くことになります。

御門訴事件はその数年前に武州一揆もあり、暴力による革命があたりまえだった時代に起きた、農民による平和的なデモだったと思います。それがこの西東京市の片隅から興ったということに感動を覚えています。平井純一さんや、先達のお力でこの事件がもっと世の中に広められ、いづれ大河ドラマになることを夢見ています。

沈まぬ太陽

2024.08.03
ヘルシンキからフェリーでバルト海を渡ったところにタリン(エストニア)はありました。 絵本の中に迷い込んでしまった…。 タリンは可愛いすぎる町でした。
どこ見ても絵になる街並み
坂がいいんだよねぇ~
宿は中世の迷宮のようなホテルをチョイス。
館のなかで迷う迷う… 最上部の屋根裏部屋だったので、トランクを上げるのに大変でしたね。
気分は”魔女の宅急便” キキの様。
このまま箒に乗ってどこかへ飛んでいけそうだ。
雨に濡れた石畳も綺麗で…。
ディナーを探しに広場に繰り出す。
ジャガイモ料理が多いようだ。
かつて、ロシア帝国に占領されていたり、ドイツに支配されていたり、はたまたソ連にも侵攻されていた歴史もあって、厳しい時代を乗り越えてきたのですね。


翌日はバスにしばらく乗って、バルト海のビーチに行くことにした。
城壁のなかの旧市街地を出ると、いがいと普通の近代国家であった。↑は大きなホームセンター

スカイプ発祥の地、実はエストニアは電子国家としても有名なんです。 バルト海は、透明度が高く遠浅の海のようだ。舐めてみたが磯の香りもなく、それほど塩っぱくないのが不思議ですな。


タリンへ戻って、ディナーに繰り出す。

路地裏のオープンテラス
気候が良いのでとっても、心地よい。
心地よいが、値段もよいので、前菜を2皿いただいてワインを飲んで撤収~!
21:00頃、娘がサンセットが見たいというもんだから散歩に繰り出す。
いっこうに沈まぬ太陽
このへんの方々は白夜のなか、ゆーっくりと泡のないビールをツマ三なしで楽しむんですよね。


タリンを散歩していると、どこからか合唱が聞こえてきました。
合唱の文化があるそうで、ソ連からの独立を意思表示するのに、バルト三国の首都を結んで人々が手を繋いで合唱したそうです。
その距離は600㎞に及んだそうで…
当時、そのニュースは世界中に伝えられたそうです。

なんとも素敵な史実があります。

早く紛争が収まって、人々が手を繋いで歌を歌えるようになりますように。


追記
 羽田の自動ドアが開いた瞬間…。天然サウナを食らい現実に戻されました。
「アジアだよなぁ…これが良いのよ…これが」と自分に言い聞かせて…

吉祥寺行のバスは、とても冷えてて
降りる頃にはクシャミが止まらなくなりました。


北欧の旅(完)

豊なライフライン

2024.08.01
公共交通機関がとっても便利なフィンランド
電力の主力は原発で、風力水力による発電も豊富

車のEV化などで今後、益々増えるであろう電力需要に良好に対応できそう。

しかし隣国の脅威もあるし…ウクライナの件もあるし…
少し、心配はありますねぇ


ヘルシンキ空港は圧巻でした。
地下100m付近に地下鉄の発着駅があり、地上部まで永遠とエスカレーターに乗る。
ミサイル攻撃にも耐えられる構造だとか…。


事前にアプリでフリーパスの様なチケットを取得してバスもトラムも電車も乗り放題。
遊園地のフリーパスの様な感覚であろうか…
電車は改札もないし、ドイツのそれと同じだね。 その日は、田無地方史研究会でお世話になっていた、松崎博さんとKonturaで昼をご一緒してから地元をガイドしてもらいました。

駅付近、あちこちに核シェルターがあり、わずか3日間で90万人が避難できる造りになっているそうです。
隣国の脅威を警戒、最悪の事態も想定して安全対策には万全を期しています。
この三角マークは避難所の意味で、サウナや地下鉄や防空壕のような場所には三角マークが示されています。
公共サウナ兼核シェルター 「ドラックストアの陳列が美しいんだよね…」と
カラー教育(色彩学)が幼少のころから取り入れられて教育熱心な、お国柄だそうで
お土産に「世界一マズイ飴」と評されるサルミアッキを購入。
甘塩っ辛い漢方みたいなグミ
でもなにか独特の説得力があり、クセになりそな味である。
いずれにせよ人に配る際には事前説明は欠かせない…。
建築家アルヴァ・アールトを反映した北欧デザインは、町の建築物にも見うけられ、箱をくっつけたような、スッキリとした外観であった。 「んん…こっこれは!……。 濃い…。」
野イチゴにも、こんなに香りがあるとは…。

ブルーベリーの原種や野イチゴが団地の裏の森やそこらじゅう自生していて、気軽にベリー積みができます。
こんな素朴なところが、じつは豊かなライフラインだったりして…

以前、大病を患った松崎さんは、そのへんで採れた「ブルーベリーとヨーグルトはちみつ」に救われたそうだ。
今も、毎朝たっぷりベリーをかけてヨーグルトを食べるそうで。

まさにライフライン、命を繋ぐブルーベリーですね。

お世話になりました。また東京でお会いしましょう♪

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