平井さんぽ

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デッサウ さんぽ

2018.06.28
ベルリンで一泊、翌朝Dessau(デッサウ)へ向かう。

途中、旧東ドイツエリアを散策。
ドイツは現在年間100万人の移民を受け入れている。
東ドイツエリアの公園はホームレスも多いようです。 冷戦時代、東ドイツから西ドイツへ人々が移住するの防ぐ為、東ドイツエリアには国境監視所がありました。旧東ドイツエリアの公園には当時のまま残っている。

今は落書きのされた掘立て小屋である。

旧東ドイツエリアの集合住宅はほぼ100%といわんばかり、スプレーで落書きされていました。 TEMPELHOFER(テンペルホーフ空港)を見物。

第二次世界大戦下の1941年にヒトラーの命令によってベルリンを改造する世界首都ゲルマニア計画の一環として造られた空港である。
戦時中は軍用飛行場として使用されたそうだ。
現在は使われていない。
空港ターミナルが残っていて、滑走路は公園となり、フォーミュラーE選手権など行われているそうだ。


再びアウトバーンをぶっ飛ばしポツダムあたりを通過してデッサウに向かう。

デッサウは田舎町で人もあまりいない。宿に着き、明日は月曜なので友人とはそこでお別れだ。
宿は6畳ぐらいのB&B。
暗くなるまでテラスでビールでも飲むか・・と一人飲み。

たまぁに通るバスを眺めながら、「遠くにきちまったなぁ・・」とか思う。

しかし、ドイツはなかなか暗くならないので、時間の感覚よくわからなくなる。


翌日はJUNKERS(ユンカース)視察。
映画『風たちぬ』の舞台にもなりましたね。
ロゴマークは人とプロペラを融合させたデザイン・・。巧いです。
もともとは湯沸器メーカーだったそうですけど・・。
第一次~第二次世界大戦当時のドイツの飛行機制作技術は高かったのですね。その技術は現在の旅客機などにも生かされているそうです。

その後、バウハウスへ行ってみる。 第一次世界大戦後、「BAUHAUS」を拠点に建築やデザインの分野で世界のモダニズムをリードしていました。

黒、グレー、白、ほんのちょっとの赤 ガラス張りであった。

1933年にナチスによって閉校されたが、その活動は現代美術に大きな影響を与えたそうです。

デッサウからハンブルクへの帰り道

ICE(高速列車)で3時間半ぐらいである。
Bitter Feldという駅でICEに乗り換えるのだが乗車券の指定時間を間違えて切符を買ってしまったらしく、田舎駅で4時間待ちぼうけ・・。
おもむろに駅でドイツパンと肉とビール。
日本でいえば駅弁を食べる感じだろうか。

しかたがないので駅の周辺を散策。
琵琶湖のような大きな湖、周囲を囲む深い森。
人影もなく、聞きなれない鳥の声が響きわたります。。

なんだろう・・。この感覚
ドイツの潮風
どこかに背負ってきた荷物をそっと置いてきたような。。。

旅をすると己は何者なのかと考えさせられる。

そもそも自分自身という自然は、いったいどうなっているのだろうか?

べつに良いお父さんというわけではないし、頭がそれほどキレるわけでもない。
高等な生き物とは、とても思えない。


外側ばかり目を奪われて自分の内面を歪ませてはいないか?

しらずしらずにいろんなことを背負い込んでいるもんだな。生きていること
と、思ったり。


やっぱ自分らしく生きたいですね。
ささやかでもいいから自分の創造の範囲で
自分自身と大事に触れ合いたい。


今、俺は地球のどこをあるいているんだか。。
そんなに暇人というわけではないし。
さっぱりわからん・・。

まぁのんびりできたから良しとしよう。。。

旅のハプニングは楽しむべきだ。

俺は今、ドイツの空気を味わっているのだ・・。

どうにかなるもんだ。

これでいいのだ。

ハプニング?サプライズ・・?。ぼーっとするのも

一人旅ならでは。なのです。