平井園だより

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稗倉

2021.04.03

 天保9年(1838年)田無村名主 下田半兵衛富永が民衆の飢饉に備えて稗を貯えるため自宅の庭に五百石入る稗倉一棟を自費で建てたそうな。。。

現在は西東京市の指定文化財である。

干支にちなんで12分の1づつ年々詰め足し古穀を貧困者並びに火災、病難等の者に分配していた。

今でいう備蓄倉庫の様なものであろうか。。。



今から5年前、下請け業者として作業に関わったのですが、地元の歴史を知るって、有意義なことで。。。

田無にある江戸時代からの文化財、「稗倉」の移築に伴う石碑、既存樹の保護、景観の整備を行いました。
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まずは傾いた石碑を起こして既存樹木や周辺の撤去から

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埋まっていた古い水路などが出没して作業を中断することも。。。 市教育委員会や学芸員の先生がた、 庭園設計者、たくさんの方々が登場します。

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たくさんの有識者の御意見をふまえながら制作いたしました。

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下田家に隣接する田無上水の水車で実際に使われていた石臼を飛び石に配置、古い水瓶も。

半兵衛さんは「槐宇道人」という雅号があったそうです。ゆかりの槐(エンジュ)の木を石碑の傍にそえます。

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稗倉の傍には下田半兵衛さんの功績を称えた石碑「養老田碑」 

江戸時代に立てられた固い石質。



↑の作業から5年が経ちました。

再びご縁がありまして、今年、母屋の庭に枝垂れ梅を植えさせていただきました。
ほかにも三つ葉ツツジ、ヤマモミジを納品いたしました。

明治天皇が昼食に立ち寄った館であると郷土史研究家の方から聞いております。 明治天皇がいらっしゃるので下田家はトイレを新築したというエピソードがあるそうです。
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下田家の庭から下草を移し植える・・・水仙は春を告げてくれます。

稗倉はこれからも地元の移り変わりを見守ってくれることでしょう。