平井さんぽ

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地下水堆ってご存じですか?

2021.08.01
 武蔵野台地で発見されている4つの地下水堆のうち、実は2つが西東京市内にあるんです。

この、地下水が堆ったと表記する、地下水堆
微妙に西東京市の浸水ハザードマップとずれているところも興味深い・・。

その発見者で名づけ親である東京理科大学の吉村信吉さんによる定義によると、以下のようである。

多数の井戸から地下水の高さを調査し地下水面が盛り上がっているところを発見した。

・又六地下水堆: 保谷村(西東京市)
・上宿地下水堆: 保谷村、田無村(西東京市)
・井荻、天沼地下水堆: (杉並区)
・仙川地下水堆: 三鷹村(三鷹村)

武蔵野台地で発見した4つの地下水堆のうち2つが西東京市内にあるっていうのだから、珍しいもの?として自慢・・?できますかね。
↑上宿水堆付近、東大農場内の溜め池とカモとレーダーと田無タワー

ちなみに、この辺は2~3m掘ると地下水が出るそうです。

容易に水が取りやすい場所であったので、昔から人々が住んでいて、少なくとも鎌倉時代には人家があったとされ、現在のフラワー通り商店街周辺は板碑など古い文化財も発見されています。
↑宝晃院に安置されている、鎌倉時代の板碑

この地域は豪雨時に野水が出たという話をよく聞きます。
↑暗渠のグレーチング部分から綺麗な水が窺え、耳を澄ますと水のせせらぎが聞こえます。

地下水堆の下部が粘土質で、地下水を滞留させると同時に雨水の浸透を妨げるため、大雨時に地下水堆がいっぱいになると野水、寄り水となって地表に溢れ、川を形成した。それが新川や大泉堀などの白子川の支流になったのでしょう。

ちなみに石神井川は地形が谷のようになっているから周囲から雨水が流れ込んで流れができるので、新川、大泉堀とは構造が違うのですね。

野水が出るところって畑とかは向かない場所もあるだろうし、建物を建てるにしても、しっかりした基礎にしなければならない、あまり歓迎できるものではないが・・。

古く昔から人々は住んでいるのだからメリットも大きかったのではないでしょうか。

暗渠ウォーク  新川さんぽ その2

2021.05.27
 旧上保谷エリアって水路だらけじゃねーの・・。

気になる小道もたくさんあって。
水路の行方が気になるんだよね。

今は住宅街だけど、江戸時代ころの小川が流れていた風景とか勝手に想像したりして。。。

はじめて通る道も

どこか懐かしいのです。
草花と生垣の濃い緑が美しい・・。
この辺はツルマの弁天池がかつてあったそうだが、現在は公園になって痕跡すらありません。
泉町に突如、開渠現る。

全長115m。
現在、流れはなさそう。 そして、水路は、あの駄菓子屋の脇を通過するのだ。 歩き疲れたのでチェリオを飲んで気合を入れなおす。

駄菓子屋のおばちゃんの話では、昔、雨のあと如意輪寺の方へ子供たちが行くと、泥遊びをして泥だらけになって帰ってきた・・・。らしい。

沼でもあったのかね。

考えてみたら、最近泥だらけの子供って、近所でみたことないねぇ。植木屋ぐらいだねぇ。泥だらけになってるのは・・。



田無エリアに入るとコンクリ蓋のサイズが小さくなります。
保谷と管轄が違うのがくっきりわかります。スペース的にも水路幅が取りづらかったのでしょうか。
谷戸新道にたどり着いた。

野分初稲荷/白山神社の脇を通り、手を合わせる。
田無の始まりは谷戸周辺だそうで、古くから祀られていた野分初稲荷は現在は田無神社に合祀されていますが、この地にあった白山神社と共に、分祀されて再び祠が戻ってきているようです。


この先が「東大農場」、新川南流の源流地の一つです。 天文観測のレーダーのようなものがクルクル回っている。

この源流付近で折り返して、田無駅寄りの新川南流田無エリアを歩きます。

これが川・・。?

たしかに東大農場付近の湧水地から細い暗渠をひいて谷戸新道を横断しているが・・。 住宅街を直角に曲がり直線的な流路なので、単なる排水路としか思えない。

 むかしこの辺には銭湯があったそうで、営業が終わると、この川に湯気が立ち昇っていたという目撃談を年配の方から聞いたことがある。

これが白子川の支流であると主張する西東京市サイドと、あれは排水路だから白子川の支流ではないとする練馬区サイドとの見解の違いもあるそうで・・。
後日、雨の日に北原町アパート辺りの遊水地に行ってみたら水が溜まっていて、遊水池としてちゃんと機能していた。

やはり新川南流は、れっきとした川なのか・・。なんなのか?
保谷町ローズガーデンに寄り道。
コロナ禍で封鎖中とのこと・・。
トラロープで立ち入り禁止で残念。。

↑は新川南流の源流地の一つ。緑の防草シートに覆われているが、かつて「エドジマ」と呼ばれた沼があり、水路脇にはソメイヨシノの並木が残っていて、昔の面影を感じます。
地下水堆が高いからであろうか。ソメイヨシノの立ち枯れが見うけられる。

水路が鉤状に湾曲していて桜並木があり、この辺は独特な雰囲気を感じます。
地元の方の話では、昔は小川が流れていて蛍もいたそうだ・・。

一面、芝畑だったけど・・。急速な宅地化、ベットタウン化が進んで・・。

ドブ川と呼ばれ、子供たちは飛び越えて遊んでいた。

そしていつの間にか、コンクリ蓋が掛けられ・・。という話

のどかな風景とか
失ってから気づくことってあるかと思う。


この先の、ノスタルジックな商店街で一息。
メンチカツを立ち食いする。
うまい!
メンチカツってあまり得意な食べ物ではなかったが、ここのメンチは美味いと思った。
そろそろ冷たいビールも飲みたくなってきた。


再び如意輪寺周辺まで戻る。
ここは新川北流、南流の合流地点である。 右手はマツバ池(的場池)と呼ばれる湧水地の跡地、大小ふたつの池があったそうだ。


今回の新川暗渠ウォークはここで終了!
さんざん歩きまわりました。

こんなに水路があるんだったら、一部コンクリ蓋を開けて千川上水みたいに清流復活!
とかやって整備したら、子供たちの遊び場や散歩道としても素敵なんだけど。行政には期待するところであります。

日頃、なにげなく車で通りすぎてしまう地元も、よーく大事に大事に調べてみると面白い発見があるもんです。

保谷四軒寺周辺も、鎌倉時代から人が住み始めている古い文化圏、穴場の観光スポットととしてフューチャーすれば町の魅力の一つになるかもしれませんね。
暗渠ウォーキングマップとかあっても楽しそう。
しとしと雨が続きます。
アジサイでも眺めに、もう一廻りしてこようかね。

暗渠ウォーク  新川さんぽ

2021.05.22
全国の暗渠ファンのみなさん、こんにちは!

今回は西東京の「新川さんぽ」に行ってきました。

新川ってどこ?っていう方もいらっしゃるかと思うのでちょっと説明しますね・・。

西東京市の東大農場辺りが源流のスタート地点で最後は白子川に接続しています。
現在ほとんどがコンクリートの蓋をした暗渠で水も流れていません。
古地図にも載っています。

けっきょく今年のGWもどこにも行けなかったんだけど・・。ヤギサワベースの店主から新川ウォーキングのお誘いがあったので行ってみることにした。


まず保谷駅からスタートだ。 保谷駅から東伏見方面に向けては緩やかな下り坂である。新道が開通するとよくわかる。

別にドラマチックな坂ではない。でもこの勾配が重要なんだよね。水は高い方へは行かないからねぇ。 東町付近のツツジ、やはり5月が見頃。

現在は行き止まりの水路跡もあったりして
草の生い茂る道なき道。
川歩きって期待してサンダルできた輩がいて大変だったね。 隣が梅林で有刺鉄線の草っぱらの小道を突き進むと突然、開渠が現れる。
なぜ突然の開渠なのか?

この瞬間、ボルテージが上がります。

有刺鉄線って「バラ線」って呼んでた。子供のころ、怪我をする奴って必ずいたよね。
↓は俗にいう「碧山バイパス」分岐点付近のマンホールinマンホールである。
溢れた水は、このバイパスを通じて石神井川方面へ導水されているんだ。
碧山って名前が良いよね。どこにあんのかね?エメラルド色の山って・・。素敵なお名前。
芝生の校庭が爽やかで・・。素晴らしい!
きっと在校生と父兄の皆さんの協力で築き上げた芝生が、まさに!碧山(エメラルドの山)なんですね。

碧山小学校の下にも、かつて川が流れていたそうで。痕跡がありました。


中町付近にバラの手入れが良く行き届いたお宅がありました。素敵! 西東京市保谷庁舎周辺は新しいコンクリ蓋でグレーチングの箇所もあり、場所によっては水がにじみ出ているのも伺える。

なんと!西東京市スポーツセンターのエントランスを横断しているのだから驚きだ。
保谷新道を横断して泉町に入る。
河原撫子(カワラナデシコ)がなんとも可愛らしい。
夢に出てきそうな風景、歩かないと見つからない景色ってあるよね。

さすが泉町!地下水堆が豊富なので、ときおり現れるグレーチングの隙間から水面がうかがえる。
水深は30㎝~50㎝ほど、水は澄んで綺麗。
生き物がいたりすると、暗渠マニアの興奮度合は一気に高まります。

この辺は旧上保谷エリアでも早くから人が住み始めていました。水が取りやすいからでしょうか。
横山道は鎌倉街道でありまして保谷四軒寺があります。
如意輪寺の廻りにも暗渠があり、旧山門の前を横断している。
如意輪寺は500年ぐらい前からあるらしい
ってことは!
もっと前から人々は住んでいたことになる。

たしかに、この辺、神社仏閣が多い
お寺をぐるりと回る暗渠、風情あるんだよねぇ
如意輪寺と保谷志木線をまたいだ先の水路は一部開渠になっていて、構造的に謎である。。 ヤクルトの販売所付近なんだけど、このトンネルの先が気になる。

ブログでご紹介できるのは、ごく一部、

旧上保谷エリアって、かつては水路が張り巡らされていて、水の都「ベネツィア」みたいだったんだ。
って。言い過ぎた。失礼!(笑)

コンクリ蓋がなければねぇ~コン畜生!

長くなるから、この辺で。
後半へ続きます・・。

DOUBLE FANTASY

2021.03.08
ジョン&ヨーコ展 ソニーミュージック六本木ミュージアムに行ってきました。 まずミュージアムの外周、レンガの塀がかっこよかった。元は何の建物だったのだろうか? インドに旅に行ったとき訪れたキャリコ博物館の塀みたいで味わいがあって・・。

あの頃を思い出したさ

まぁ塀なんか見てる人はたぶん私以外いないと思うが・・。
さて、展示を見よう。
奇跡の軌跡。
さすがこのお2人ですね~。楽しめました。
1960頃~1970頃、あの時代に欧米でバリバリやってたオノヨーコさん。
ジョンとの対等な関係、むしろヨーコさんが引っぱってた、かもしれないその関係性。
ヨーコさんって、やっぱすごい! 作品は全然古びてなくて、斬新な印象で。

ジョンレノンって我々世代はリアルタイムで観ていないし伝説の人、ポップサウンドのカリスマでございますが、映像や生声がたくさん残っているということ。いまだに大きな影響力を感じます。 ストロベリーフィールズに植栽されている植物のリストの展示していた。 そう! ジューンベリーは平井園にも植わっていますね。 (平井園6月ごろ↑)


ヨーコさんの前衛芸術作品も展示していた。 私にはよくわからんのです。

いまちっとんべぇ、こうした方がいいんでねぇの?・・とか。(多摩弁)
脚立おっぺしてやろかと思ったさ(笑)

ジョンとヨーコが知り合うきっかけになった作品らしいが・・、。
しょーじき、よくわからんかった。


肩透かしにあったような感じでねぇ~。
芸術ってやっぱむずかしい。

前衛であるってこと
これが古びない理由なのかねぇ。。
おはようございます。 いいねぇ。
ジョンとヨーコのように仲良くいきたいものだ。

「LOVE&PEACE」


1970年代に二人が唱えて本気で運動していて、あれから40年。

幸い

我が国は70年間どうゆう形にせよ戦争はなかった。
でも地球のどこかではミサイルが配備されていて、オラホに飛んでくることもあるわけで・・。


話はぜんぜん変わりますが。
最近、地元郷土史に興味があっていろいろ調べていて、鎌倉時代に、やはり平和を唱えたお坊さんがいたけんども、あれから約千年ぐらい経ってますが、なかなか平和は訪れね。

もしかしたら永遠に訪れないのかもしれねーね。
でも未来の子供たちのために・・。
まっとまっと平和にならにゃ。

夢かもしんねぇ
でも願わなかったらなーにもはじまらん

武器を棄て平和が訪れて、愛と音楽と芸術の世界になったら、いったいどんな世の中になるんじゃろか。

イメージする! そこからなにかがはじまるんじゃ。

んだべ!!

いにしえの板碑

2021.02.02
ポタリング! ボルタリングではないっす。。いや
ポタリングです。

ポリタンクでもない。

「ポタリング」とは近郊を、さんぽ程度に
軽~くサイクリングすることである。

ぽたぽた ゆったり ポタリング

もちろんママチャリである。しかも新車! 狭山丘陵周辺は古い歴史があって、いにしえの板碑がたくさん発見されています。
旧武蔵国(埼玉、東京、神奈川の周辺)辺りになるそうで・・。 石質は秩父あたりで産出された「緑泥片岩」 供養や墓標を兼ねたものとして造立されたそうだ。 「青色塔婆」とも言われていて、現代のお墓に立てる「卒塔婆」の原型とも思われる。 時代は中世のものが多く、平安末期~安土桃山ぐらいまで造られていて、江戸時代はなぜか作られていない。 大きく掘られている梵字のデザインがいんだよねぇ。 青い石も綺麗で 蓮の花の上に梵字が乗っている形で如来や菩薩の仏体を表しています。 徳蔵寺には板碑が170基も収蔵されている。 国宝級だと思うのだが・・。 平安~鎌倉にかけて東村山周辺が鎌倉街道の重要な拠点であったことがうかがえる 帰りに 峠の峰にある六地蔵へお参り この六地蔵は明治時代に赤痢が流行った時、亡くなった方々へたてた供養塔だそうで。 コロナの終息もお願いしてきた。 宝珠は地面に置いてあった。 なんとなく宝篋印塔に地蔵さまを合体したようにも見えるがどうなんでしょうか。。 帰り路に派手な団子屋に寄る この団子屋 懐かしい感じでね。 醤油を漬けちゃ焼いて、漬ちゃ焼いてねぇ・・。と よく喋る店主。 なんか志村けんさんにみえてくる。 手づく焼き団子の舌触り 最近、こんな団子屋少なくなったねぇ。なんで少なくなったのだろうか? また食べ物の話になってしまったが・・。 よーするに。東村山は鎌倉時代の重要拠点であるってことなのさ。

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