いまにも降り出しそうな鉛色の空、イチョウの黄葉に温かみを感じます。

まずは、柳沢公民館集合でミーティング



この看板だけって・・。ちょっと寂しいね

この地に、昭和四年に落慶(らっけい)されたそうで、現在93才、もうじき100周年。
中島飛行機からも大通り一本で来れるので、まるで中島飛行機製作所のための神社のようである。
昭和20年には終戦しているわけで・・。


やはり東伏見神社は中島飛行機製作所との関連が濃いようである。

秋のイベント真っ盛り、平和です。


約80年前、この地に軍事工場があり、「ターゲットNo.357」という符号がつけられ、たくさんの爆弾が降り注いだことは忘れてはいけませんね。


もともとは東伏見という住所はなかったのですね。

ここの旧地名はかつて上保谷村下野谷でした。
彫りがあっさりとしてよいですね。
小祠の中で保存状態が良い。



しかし・・
下野谷遺跡はなぜ、石神井川の北傾斜の場所だったのだろうか?
日当たりの良い南傾斜のほうが良さそうな気もするが・・。
私の・・。誰に聞いたわけでもなく、なに調べたわけでもなく、ただの直感なんですが
東伏見坂下付近の青梅街道あたりにも一筋、川があったのではないかと思うんです。
それであれば河岸段丘の中島みたいな感じで下野谷遺跡は南にも北にも水場がある好立地だったのかもしれない・・。


最後は暗雲の切れ間から太陽が降りそそぎました。
折しもウクライナではミサイルが降り注いでいるわけで
ふりそそぐのは太陽だけで充分だ。