
田柄用水 石神井台辺りまでのポタリング!
まずは田無用水との分水口(田無町3-10)からスタート


この差ってなに?って感じ。




田柄用水は玉川上水の分水であり、あくまで自然河川とは合流しないのである。
しかし北原町は水路が多い、このへん中島飛行機関連の社宅だったそうな。その前の明治ころは水路もあるし...。 畑だったのかな。
ちょい寄り道して肉屋に寄る。

ビールのつまみに最高だ。
さらに水路は東に向かうわけだが、保谷町あたりの「どぶ板」通称「保谷のバタバタ道」をチャリで走ると面白い。
楽器みたいな音がする。



むかしからの旧道もあり、今なお、面影が残っている。
ここは文化の交差点。
いまでは裏路地であるが、さまざまな神や仏がいます。人々の祈りや情念、願い、喜び、悲しみ、そして希望も潜んでいるような気がして・・。
その時代のメッセージが込められているような気がして・・。
とっても古い何かを感じます。

関道の起点にたどり着く。
「榎ノ木」は関道、榎ノ木通り、深大寺道が交差している。

昭和20年の爆撃で、向って右二腕と左一腕を失っている。当時の住宅地にも空爆があったことを物語っています。
表情とお姿が、どことなく可愛い。

※スケッチと写真は『保谷の石仏と石塔一』より引用


暗渠はいったん二車線道路と合流しかかると思いきや、すぐ西側に分かれて南へ進んでいく。


富士町あたりに来て新青梅街道を横断する。この辺、伏見通りも新しくなり、暗渠の痕跡はとぎれとぎれになる。




ここから田柄用水は富士街道沿いを東に向かう。
富士街道を東にワープして「けやき憩いの森」に到着
そう。ここはロイヤルホストの向いの森みたいなところ。

ここは本橋家の屋敷林に用水を引き込んで、野菜の洗い場があったそうです。


帰りに清戸道の富士の湯に入ってきた。


坪庭には池もあり
まるで魚になった気分だよ。
ゆっくり自転車こいで西東京まで帰ってきた。秋風もここちよか~♪
田柄用水は明治4年に開削した比較的新しい用水ですが、名前の由来は、田柄エリアは水利に恵まれず、農耕地に適さないということで「田が枯れる」~「田柄」になったという説もあるそうです。
そこで、流域の住人が懇願して用水が引かれたそうで。
しかしながら昭和30年代には全てで通水は止まってしまったそうだ。
田無から旧上保谷を抜けて富士町から石神井台まで田柄用水さんぽしてみると、関道や富士街道にある古い文化財とか見て廻ったり。新たな発見もあるわけで・・。
私が造園やっているせいですかね。
最近、大地のわずかな起伏とか勾配とか窪地とか、なんとなく肌で感じて・・。気になって気になって
また新道をズドンと通すと地形がより解るんですよねぇ。
まぁ概ね平坦地ですけど・・。このへん。

だから、用水の通っているところは周辺よりもわずかに標高も高いわけで、なんとなく空気まで綺麗な気がするのです。

田柄用水の、その先の世界も歩いてみようかと思ってます。