『子ども武蔵野市史 改訂版』が出版されました。
「ゾウのはな子」の話の内容変更
新しく「電話の発展」の話や、井の頭池の「かいぼり」の話など、盛りだくさんで追加されていました。
もちろん西東京市にも、ゆかりある「御門訴事件」の話も載っています。
武蔵野市では小学校5.6年生、中学生の地元郷土史の副読本として使われているそうです。
イラストも素朴で、とっても読みやすいです。
御門訴事件のことを、地元の方々にも、コメントをいただいたのでご紹介いたします。
漫画家、剣術家 とみ新造さん
明治初期は全国で農民一揆が江戸時代より十倍以上多いものでした。
令和4年5月に阿波洲神社を参拝している時に平井さんと知り合い、神社内や近辺の石碑の説明から御門訴事件を知りました。
社倉米制度に不満をもった五百人以上の農民の品川県庁への門訴でしたが、武器を持たない非暴力直訴でした。しかしながら県庁側は峻厳に武力鎮圧、牢死、懲役刑、拷問、逃亡など多くの犠牲者が出ました。
この御門訴事件は政府による箝口令が布かれていたものか、長年地元の人々も語る事がなかったようでした。
今、歴史への表出は、犠牲者の御霊も、さぞ浮かばれることでしょう。
歴史は決して過去のものではなく、現在と、未来へと繋がったものなので。
「焼き鳥グッド」並木靜夫さん
お恥ずかしい話ですが、御門訴事件のことは、近年まで知りませんでした。
知らないというところから始まり、私の祖先の親類筋の並木綱五郎の一番弟子が、御門訴事件の中心人物である平井週作である。 おそらくそうであろうと石碑や資料などから読み解けて、江戸末期から明治の時代背景など含め、よく知らなければ伝えられない話だなぁと、あらためて思いました。
やはり歴史に一過性のものはなく、脈々と繋がりが出てくるもなので、調べだすと興味が尽きないものですね。
田無近辺地方史研究会 松崎博さん
御門訴事件の発端は社倉制度という実質的な重税に対し、何とかできないかという地域農民の非暴力な誓願だったと思います。
ところが倒幕闘争で出遅れた佐賀県出身の古賀品川県知事は、先行する薩摩長州の官僚に対抗するべく、新政府内で収税実績を挙げること必要を強く感じたことでしょう。また幕府の地方分権政治から、天皇を奉じた強力な中央集権政治への移行があり、武蔵野新田の農民は、その狭間で犠牲になったと理解することもできそうです。
同じ武州といっても、旧代官の江川太郎左衛門が引きつづき知事として管理した韮山県では、品川県とは違い大きな混乱が無かったことは特筆するべきかと思います。